なすの一口馬主日記

一口馬を応援したりレースの回顧をしたりしてます。一口持ってるのはシルクとサンデー社台です

一口馬主の思い出①ローヌグレイシア

ブログを始めるにあたって過去の出資馬の振り返りをしておきたい。

一口馬が勝ちあがる前の3年間は、4頭の未勝利馬に出資していた。

一口を始めた最初の年、記念すべき最初の出資馬となったのはアーデルハイトの17ことローヌグレイシアという馬だった。

 

ローヌグレイシアへの出資を決めた2018年はシルクの大活躍年でアーモンドアイが三冠を決めた年。その影響で翌年の申込からシルクは超人気クラブとなってしまった。

一口を始めるにはギリギリのタイミングだったように思う。

少なくとも「アーモンドアイちゃんの影響で一口始めたんですよ~」みたいなミーハー野郎呼ばわりされるのはギリギリ避けられた。

 

しかし翌年から超人気クラブ化するということは翌年からより一層出資が困難になるということ。自分が一口を始める最初の年にこそ全力で行かなければならなかった。

残念ながら当時の自分にそこまでの覚悟は持てなかったので、その後しばらくは不本意な出資状況が続くこととなった。

 

 

で、ローヌグレイシアについて。

この馬に出資を決めたのは一口価格が4.8万円とお手頃価格だったのもあるけど、「葦毛のクロフネ牝馬だから」というのが大きい。

なんとなくクロフネ牝馬は特に葦毛が走るというイメージがある。

ホエールキャプチャカレンチャン、アエロリット、近年では白毛だけどソダシなど。

そこまでの名牝とまでは行かなくても見た目に共通点があるならある程度は走ってくれるんじゃないか、全姉のロッテンマイヤーもOP勝ててるし……あと見た目が可愛いし。

 

といった期待を込めて出資した馬だったけど、

残念ながら10戦して勝ち星を得ることはできなかった。

 

ローヌグレイシアの欠点は非力さだったと思う。

直線ですぐ力尽きズルズル後退してしまったため、芝は2戦で見限られてダートに転向した。

そのダートで最初は結果を出せたのが不幸だった。

ダートの初戦は稍重馬場で3着、次は惨敗したけどその次と次の連戦でいずれも不良馬場で2着、2着と来てしまったため完全にダート路線が定着してしまった。

しかし渋ったダートだと脚抜きが良くなって芝馬でも意外と結果を出せてしまう。

非力なローヌグレイシアの場合はたぶん本質はダート馬ではなかった。

 

続く阪神の未勝利戦は良馬場となり、ローヌグレイシアは4着ではあるけど1.9秒差と惨敗した。

そしてその後のダートレースで巻き返せることはなかった。

能力的に芝を使ってても勝ち上がりは厳しかっただろうけど、それでも芝を使い続けた結果での納得感が欲しかったとは今でも思う。

 

引退後はノーザンで繁殖入りしたけど、ダートの戦績もあってか初年度につけられたのはルヴァンスレーヴ。

その翌年にはセールに出されて今(2023年2月時点)は別の牧場にいるとのこと。

 

 

 

地味な戦績で終わった馬だけどデビュー戦は妙に注目されてしまった。

というのもこの馬がデビューした2019年はシルクの新馬の当たり年で、リアアメリアを皮切りにサリオス、モーベット、ワーケアとデビューする馬がことごとく勝ち続け、築いた結果が新馬8連勝。

よりによってローヌグレイシアのデビュー戦は10番目だった。しかも鞍上は川田将雅

 

10連勝の記録がかかると突然注目が集まり始める。

ローヌグレイシアはデビューの前の週ぐらいからビワハイジ一族の良血馬とか言い出され出した。

おまえら今まで一言もそんな持ち上げしてなかっただろうが。

 

自分の持ち馬がついにデビューするぞー馬券に入れば御の字かなーうふふ

ぐらいに見守ってたのが急にシルクの大記録のかかった大一番になってしまった。

こうなるとデビュー戦で普通に負けただけなのにケチがつきそうで気が気ではない。どうしてこうなった。

 

しかし幸いなことに、シルクの連勝を止めたのはローヌグレイシアではなく、その1R前にデビューしたビオグラフィーだった。それも13頭立ての下から2番目という大敗。

おかげでプレッシャーから解放された。ありがとうビオグラフィー。

 

後にビオグラフィーはOP入りし京王杯SCで5着、北九州短距離S1着という結果を残すなど、立派な競争馬に成長した。

同じ連敗STOP組だぞ、なんて言えたのは最初だけだった。

競走馬の明暗というものはわからない。

 

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